運営者 Bitlet 姉妹サービス
使い方 FAQ このサイトについて | login
46件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

1981-01-28 第94回国会 衆議院 災害対策特別委員会 第3号

厚生省の方では、老人母子世帯あるいは病弱の世帯を重点に、緊急時の連絡を密にするよう、福祉事務所、ホームヘルパー、民主委員等に連絡をとっているというぐあいに聞いております。それからさらに、いま申しましたような生活保護住宅維持費あるいは世帯更生資金等の活用につきましても、周知徹底を図るということで努力願っているように聞いております。  

安原正

1971-03-19 第65回国会 衆議院 社会労働委員会 第13号

ことにここでも問題になっております社会福祉施設等に勤務する職員の方々処遇改善というようなこと、これらの方々は二十万人ぐらいおられるわけでありますが、そういう方面の改善をまず第一義的に考えてまいってきておるわけでありますけれども民主委員、児童委員、またいまの戦傷病者相談員遺族相談員というような方、いわばボランティアのような形でお互いの相談相手になってやろう、またそういう方々団体の役員の方々に御就任

内田常雄

1967-05-08 第55回国会 参議院 予算委員会 第8号

をしているものか、民生委員の制度やそのやってきた仕事を全然国民の方によく知られないで、その足あともよく知られないでやってきた人たちでございますが、そういう非常に長い、ほんとうに半世紀にわたってこの仕事を積み重ねてきております人たち仕事をする事務所でございますから、いま大臣がこの席でそれを承知したとは言えないということでございましたが、ぜひひとつ財政当局でも、日本の最低の線といいましょうか、非常にこの民主委員

山下春江

1966-05-12 第51回国会 参議院 内閣委員会 第24号

それから、民主委員につきましても、同じような公務に従事するわけでございますけれども、やはり国家公務員ではないというふうに解釈されておるわけでございます。それで、やはりこうした委員につきましては、一般的にそれぞれの法律名誉職であるということははっきりうたってございませんけれども名誉職的な地位にあるというふうに一般に理解されていると考えております。

稲木進

1965-02-25 第48回国会 参議院 内閣委員会 第7号

○国務大臣(増原恵吉君) 御指摘のとおりで、お述べになりましたような民主委員とか保護司、人権擁護委員等と比べまして、現実に地方における適任の方々といいまするか、有力な方々にお願いをしてこの委員をやっていただいて、十分に成果をあげていただいており、この方々の中からも会合がありました際など、法制化についての要望が出ておるわけでございます。

増原恵吉

1957-11-12 第27回国会 参議院 社会労働委員会 第6号

でもなければ、団体の統合にもならぬし、この両方の事業を何にも調整したことにもならぬし、その地域の住民がこの一業に熱意を持ち、大いに努力をやるという抽象的な狙いはいいけれども、そういうことを推進していく一つ組織なり団体ということになってくると、今のようにこの二大分野を団体として一つにするのか、主体性はどうないていくのか、そういうことにおいて公衆衛生国民運動というものが強化されるのか、これは従来の民主委員

山下義信

1950-04-28 第7回国会 参議院 電力問題に関する特別委員会 第20号

先ずこの法案ができるまでの手続について私は非常に異議があると同時に、それは手続だけの問題ではなくて、そのことが結局法案内容等にも関係しているのでありますが、御承知のように経済民主化という観点から電気事業編成が問題になりまして、最初に電気事業民主委員会ができまして、それから電力再編成審議会の二つの委員会ができました。

土屋清

1950-04-22 第7回国会 衆議院 本会議 第40号

第五に、最も論議の集中いたしました問題として、現行法では、生活保護実施を適正ならしめるとともに、これを国民に親しみやすいものたらしめる意味において、民生委員市町村長補助機関として強力に保護事務に關與せしめておるが、本法案民生委員協力機関に変更したことは、せつかく社会奉仕の立場から進んで保護実施に当りつつある民主委員積極的熱意を冷却し、ひいては保護事務の円滑適正なる運営に支障を生ずるのではないかとの

青柳一郎

1950-04-13 第7回国会 衆議院 考査特別委員会 第25号

そのろから民主委員会というものを、收容所の非常に作業成績の上つているところから選挙制によつて許したわけです。作業成績の上つているところから逐次民主委員会を選挙制によつて自主的にこれを許したわけです。それからわれわれのラーゲルは、さつき言いましたように年寄りぞろいで、なかなか成績が上らぬので、われわれの場合は、兵隊と同じような意味における民主委員会というものは最後までできなかつた

加藤幸治郎

1950-04-13 第7回国会 衆議院 考査特別委員会 第25号

○小泉証人 民主委員その民主委員というのは大体民主運動の中核をなす者です。その中には必然的にフンクチョネールというものが入つておるわけです。それが作業成績であるとか、思想動向等ソ連側に参考に供する。それがひいては引揚げに関係するのではないか、そういう意味権限のように思います。

小泉敏次

1950-04-12 第7回国会 衆議院 考査特別委員会 第24号

おれは民主委員長までやつて来た男だ。きようの君の発言は水準の低い大衆に対しては非常に悪い影響を及ぼす。私は少くともこの人たちソ同盟に対して反感を持たないような線まで考えておる。このようなことを久保田氏は言いました。それは大いにけつこうである。さらに久保田氏は、私は帰つてからもやくざ的なものであるけれども、やくざにも二通りある。

一木春夫

1950-04-12 第7回国会 衆議院 考査特別委員会 第24号

その当時の久保田善藏並びに石原幸四郎——当時闘争委員長であつた人ですが、この人が私に対して、久保田善藏——この人は後には民主委員長でプロバガンジストになつたのですが、彼は久保田善藏という人が日本帰つたならば、日本共産党文化部を将来やる。そういうふうに言われておつた方で……。

相原和光

1950-04-11 第7回国会 参議院 厚生委員会 第27号

恐らく任用の方法を嚴重にいたしませんときには、短時日の教育しか受けないところの無能な主事が続出いたしまして、今日の民主委員について言われる各種の非難以上の非難を生じないとも測り難いと思われるのであります。特にこの点につきましては第二十七條、第二十八條、更に第六十二條の運用について注意を要すると考えるものであります。

近藤文二

1950-04-08 第7回国会 衆議院 考査特別委員会 第22号

つまり反ファシスト民主主義、正確にいうと反ファシスト民主委員会という名前であります。反ファシスト民主運動なのであります。これがわれわれとしては根本である。従つてつて非常に無自覚で、戰争に出て人を殺すことを何とも思わなかつた兵士、これが人間的に改造されて、まじめな民主主義者なつて行くという過程、これが運動根本つたわけであります。

矢浪久雄

1950-04-06 第7回国会 衆議院 考査特別委員会 第20号

第二に久保田氏が大よそ民主委員時代にわれわれをいじめたことは事実であるが、彼が「彼のために日本人が罰せられた」とは、私自身罰せられた者も知らないし、言つた覚えはない、一連の民主委員と同様なことを言い、かつ行つて来たことは、彼自身認めているだろうが、「罰せられた」とは彼自身不満に感じよう、中川氏はこの旨認めている。  

小島清

1950-04-05 第7回国会 衆議院 考査特別委員会 第19号

ですからできたばかりの民主委員会としては、どうしても形上数を多くしないといけない、数を多くする必要を感じたわけです。とりあえずとにかく思想を問わないで、小隊長以上はみなアクチーヴにしようじやないかということで、私どもの方の収容所分所ではやつておりました。けれどもだんだんそのうちに実際の政治活動をやる分子も出て来ました。

菅季治

1950-04-04 第7回国会 衆議院 考査特別委員会 第18号

小笠原証人 彼は二十三年の暮れか二十四年の正月だつたと思いますが、ベグワードからアングレンへ参りまして、彼が参つてすぐに民主委員長になつております。なお彼が民主委員長になつてほんの半月か一箇月たつたくらいのときに、ベグワード民主運動をやつて非常にまずいことがあつた。というのは、帰国のどさくさにまぎれて、全部に渡つたところの人のタバコを吸つてしまつた

小笠原唯雄

1950-04-04 第7回国会 衆議院 考査特別委員会 第18号

小笠原証人 昭和二十三年は、この民主委員といういわゆる指導者、この民主委員会が帰国者の選考をいたしております。もちろんこれは、その日本側から出たところのものについてロシア側で再検討をいたしますけれども、まず一番先に人選というものは民主グループで行われております。これははつきり申し上げられます。

小笠原唯雄

1950-04-01 第7回国会 衆議院 厚生委員会公聴会 第1号

それで結論から申し上げますならば、民主委員は、元は補助機関でありましたが、今度は協力機関にされるということであります。協力機関になるとしても、これがわき役として頼まれる。ここにございますように、頼まれるときにお手伝いをすればよいというような程度ではなく、ほんとう有給吏員一緒なつて、要援護者を守つて行く。

原泰一

1950-04-01 第7回国会 衆議院 厚生委員会公聴会 第1号

それから民生委員というものが、今までの補助機関としての能力をなくして、軍に協力機関——先ほどこちらの青柳委員が、それはむしろ好遇されたのではないかとおつしやられましたけれども、実際には決して好適ではないのでありまして、これでは民主委員というものはほんとうに活動できないという結論になります。そういう点で私はこれに反対意見を持つておるわけなんです。では実例をいろいろと申し上げたいと思います。

江津萩枝

1950-04-01 第7回国会 衆議院 厚生委員会公聴会 第1号

これは地方民主委員たちの取扱いが十分に法律を研究しないためでもあるのでありますが、この点は私はいずれ施行令施行細則等ができると思いますが、その際には救助の必要の起る一歩手前、すなわちそのおそれのあるものに対して、早くこういう施設を施すということを実際に行い得るように、施行令施行細則等でお考えを願いたいと思うのです。

増田正直

1950-03-31 第7回国会 衆議院 考査特別委員会 第15号

そうして一つ民主グループの中に思想教育のテーマを提供し、行うといつた過程から一九四七年八月、全地方議長会議といいますか、分所民主委員そういつたものが集まつて、ここに新しい議長会議が行われて、この民主運動が説得的な過程を踏み、あるいはまた各人の発言の自由もあつた時代がなくなつて、ここに極左的といいますか、あるいは暴力的といいますか。

吉田幸平